ご縁があって、幸流小鼓 人間国宝 曽和博朗師氏 米寿祝賀能を
京都観世会館で見させていただきました。

今まで、野外で行なわれる“薪能(たきぎのう)”や
ホテルで行なわれる“舞囃子(まいばやし)”は見たことがあったのですが、
観世会館で本格的な“能”を見たのは、今回が初めてでした。

“能”とは難しいものと思って、少し距離をおいていました。

確かに今回の“能”も難しく、見ていても全くわかりませんでしたが、
打楽器(小鼓、大鼓、太鼓)と笛、そして、謡いだけで演じられる
その世界に引き込まれていきました。

登場から退場まで、卒なく、無駄のない動き。

絶妙の呼吸とタイミング。

微動だにしない息の詰まるような静寂の緊張。

とどまることを知らない怒涛のような動の激しさ。

600年以上も続く、この総合芸術は、今もなお、人々を魅了し続けています。


“能”の見方は二通りあると言われています。

一つは、ただ観る。
美術館で絵画を観るように、ホールで音楽を聴くように。

もう一つは、劇として観る。
それは、読書をするときのように、
想像力を膨らませながら、その物語の中に、入り込んでいく。

観れば観るほどその奥行きの深さを感じてしまう、そんな劇でした。